賣多士的士多

« toastore » – 葉鈞頌 Maurice Yip | 地理學研究者 Geographer

ごく普通な星野源

Maurice Yip 葉鈞頌

モーリス・イプ、イプ・グワンチョン)

記事原文はこちらをご覧ください。

香港の日刊新聞『明報』(2021年6月1日火曜日)

新垣結衣と星野源が結婚することを発表した。近頃で珍しく地雷を踏まずに自由に意見を発することができるトピックとも言えるだろう。多くの息苦しく、恐怖なしでは語れない荒唐無稽な話題の中で輝くささやかな幸せ。この幸せな出来事は多くのオタクの心を玉砕してしまったが、香港人の注意力を一時的にこの都市から日本へ移し、気持ちのバランスを取り戻させることができた。面白いことに、共同の発表であり、二人のことであるはずにも関わらず、世間の注目は「新垣結衣が結婚を発表した」に集まっているようだ。星野源と言う人物を見落としているかのように。役のイメージは俳優自身の個性を表しているわけではない。だが、様々な議論を観察する限り、「偽オタク恥を知るべき」と謳っている方々の星野源に対する認識は二人が2016年でダブル主演となった日本ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の中の草食男のイメージによるものだ。しかし、実際のところ、星野源は歌手、役者、作家、番組司会として、個人の魅力とその日本社会への影響力は決して新垣結衣に劣るものではない。

このニュースが発表された途端、多くの人々が二人が結ばれたドラマと星野源が歌った主題歌『』と「恋ダンス」を振り返る中、私が思い出したのは星野源2017年の作品『Family Song』だった。曲名だけからすると、また家族に関するありがちな歌かと思うかもしれない。だが、星野源はこれは多元社会の未来を見据えた歌であると解説した。家族の形は常に変化しており、男女間の結婚や出産育児だけでなく、同性伴侶、性別を越えた方々がつくった家庭だってある。血縁関係がなくとも、一緒に生活していなくとも、その人が人間でなくても、家族と言える。職場の同僚さえも家族のように仲良くすることはできる。星野源にとって、家族の条件とは他の人の幸せのために誠心誠意努力することだ。なので、二人が結婚すると知り、彼らは繰り返されている歌詞「ただ幸せが一日でも多く側にありますように」と同じ思いを抱いて、結婚し、家族になろう決めたのだろうか、と言う純粋な疑問が心の中に浮かんだ。

成功した謙遜な多生アーティスト

ドラマの中のツンデレで丁寧な四宮先生落ち着きのあるクールな志摩刑事、天然で心遣いができる平匡さん、または大スクリーン上の従順な公務員国替えと言う重大な責任を負う武家の本の虫表面的には平凡な二代目テーラー、星野源の演技は皆が認めるものであり、多くの賞も勝ち取った。だが、彼の一番成功したキャリアは間違いなく音楽と言えるだろう。二十数年の俳優生涯に対して、2010年から歌手としてデビューした星野源は、日本音楽界を後から追い上げ、『逃げ恥』の出演前、2015年で既に紅白出場を果たしていた。彼のドラえもん劇場版のために創作した主題歌は大人気となり、その後毎週のテレビアニメの主題歌としても採用された。香港人がまだ「こんなこといいな」と口ずさんでいる中、日本の子供は既に星野源の『ドラえもん』を歌っている。

星野源が人気となった理由の一つは、彼の音楽創作、コラム執筆と舞台演出、どれもが多元価値への重視および社会人生百態への観察を反映しているからだ。特に彼が2013年大病から回復し、三途の川から戻った後、彼の創作スタイルは小さな変化を見せた。ポジティブパワー全開で周りの人と事を大切にするだけでなく、生命の尊さと多元社会を更に重視したものとなった。彼のこの人性価値は、そのまま音楽と言葉と言う人を魅了する魔力となる。

多くの人が星野源の散文集『いのちの車窓から』で新垣結衣の平凡な美しさを賛美する文章を見つけ、星野源の求愛は予定していたものだと予測した。実際、彼のコラム記事は以前から日常を記録しているもので、いつも様々な人との交流を書きとめたものである。新垣結衣、大泉洋、吉田羊など舞台表にいる大スターだけでなく、裏側にいるスタッフ、ネット上の友人、運転手との出会いまでもが詳細に綴られている。星野源は「人」が純粋に好きで、尊敬しているのだ。彼は焦点が自分に当たることを望まなく、コンサートでは常に共に戦ってきたバンドを紹介していた。『逃げ恥』の宣伝の際、彼は主演が新垣結衣であり、自分はただの共演者であることをわかっており、話の焦点が『恋』になる度に、彼は話題を主演のガッキーへ戻そうとし、テレビ画面の中央位置を譲っていた。TBSテレビのエースアナウンサーである安住紳一郎は、星野源はとても謙遜で、他の出演者がいる時、彼は常に自分の存在感を薄くし、聞き手に回っていたと言っていたことがある。

日本多元社会のインフルエンサー

この根気強く、ありのままでいようとし、真面目なアーティストは政治と一線を引いたことがあった。星野源は散文にて、音楽が政治と国家を変えられると言う理想をあまり賛同しないと綴ったことがある。政治はお金第一だからである。彼は去年4月に楽曲『うちで踊ろう』を創作し、皆のステイホーム中の二次創作を呼びかけ、様々なアーティストや人々から熱い反響があった。コロナで社会の雰囲気が落ち込んでいる中、人の心を奮い立たせたのだ。安倍晋三元総理はコロナ期間に当曲をBGMとした映像をアップロードし、人々にステイホームを薦めた。本件により、民衆が安倍のコロナに対する緊張感のない態度を批判した際、星野源は再度出所を表記頂ければ、誰もがこの歌を使用することが可能であると言い、自分は安倍とは一切連絡を取っていないと強調した。もしかしたら、星野源の言う政治は狭義的なもので、政党政治を指しているだけかもしれない。事実上、星野源の創作の日本社会に対する日常的政治影響力は侮れないものであり、彼は創作を通じて多元社会を実現するインフルエンサーの一人である。

人々が自由に様々なライフスタイルを実践できるよう、高圧的な押し付けではなく、一つの多元化社会が異なるグループを尊重し、面倒を見ることができる、と言うのが理想的である。社会文化が比較的保守的な日本が多元社会へ向かうのは決して容易いことではない。日本では時折人を蔑視したニュースが報道されている。例えば、年初森喜朗は女性は話が長いと批判したことについての議論により、オリンピック委員会職務を辞任した。また、佐々木宏はお笑い芸人渡辺直美が豚の格好をし、「オリンピッグ」の音をとり、オリンピック開幕式に参加すればいいのではないかと提案したことによって、クリエイティブディレクターを辞任することになった。お堅い性別概念と古い社会階級意識は、各業種でやっていくための暗黙のルールであり、現地の人々が日常生活で向かい合わなければならない政治である。近年、日本ではBLのドラマや様々な社会現象を題材とした創作が生まれている。『逃げ恥』もその一つであり、クリエイター同士が共に昔ながらの鎖を突破しようとする試みと言えるだろう。

紅白従来の性別固定概念を打破

NHKが一年一度大晦日で行う紅白歌合戦は、性別の固定概念が明白であり、歌手を男女でグループ分けし、競い合わせるものだ。アイディアは白と赤を印とした剣道の紅白試合から来たものである。このイベントは、第二次世界戦争後、日本の公共放送機関と米国が筆頭する連合国軍が交渉によって形成されたエンターテイメントの産物であり、長年開催し続け、日本敗戦後の社会改革と変化を見届けた。公共放送機関としての使命と責務を貫いたとも言えるだろう。星野源は以前この歴史を題材とした2015年テレビドラマ『紅白が生まれた日』に出演し、その日米兵が如何にセルフアイデンティティの渦を逃れたかの経歴は実に興味深いものだった。興味のある読者は、見ることをおすすめする。

さて、話をドラマから現実へと戻そう。近年、星野源は紅白対峙のステージ上で、紅白の間であるピンクの衣装を身にまとった。2018年、紅白は彼のために特設コーナーを用意し、星野源は女装し、おげんさんの姿でこれからの紅白は紅組も白組も性別関係なく混合チームでいけばいいと思う、などと述べた。一部の日本観察者は、星野源はあえて紅白従来の性別固定概念を打ち砕き、他の数人の紅白出演者と共に、日本社会の性別に対する固定概念を覆し、多元社会で本当の自分を表現しようと言う重要なメッセージを伝えたのだと言う。公共放送機関は権力者に仕えるのではなく、このように社会を変える声を許すべきである。一人の力は微々たるものだけれど、使命感ある志を共にする仲間同士で手を組めば、改変の力は大きくなる。星野源の歌『ドラえもん』で「何者でもなくても世界を救おう」と歌ったように。

知名芸能人 平凡なカップル

二人が結婚を発表した後、一部の映画評論家が男性の角度からガッキーは美しいと称賛し、映画『恋空』と『ハナミズキ』の役では日本の伝統的な女性のイメージに合っていたと述べた。別の角度からすれば、新垣結衣は努力する普通の人間と言う点で、既にもてはやされるのに値すると言うことだ。彼女のファンであるなら、彼女が『ハナミズキ』のためにどれほど一生懸命英語を勉強したか、『ミックス。』の準備ではどれだけがんばって体力を鍛え上げたか、忘れることはないだろう。決して顔だけではないのだ。星野源にとって、新垣結衣は「感情か豊かな人や繊細で周りをよく見ている敏感」な普通の人なのだろう。それに似たように、星野源が人を引き付けているのは、その普通感だと思われる。曲や言葉を派手に飾らず、ごく普通に、その気持ちを伝えている。

5月25日深夜、多くの記者がテレビ局で番組の司会を務めている星野源を待ち、彼の結婚発表一週間後の心情、婚約の過程、二人のお互いの呼び方などについてインタビューした。星野源は繰り返し、ごく普通の呼び方で、ごく普通の婚約の台詞だと強調した。彼らは自分達を芸能人としてではなく、普通の人として扱われることを望んでいるのだろう。新垣結衣、星野源、平凡な二人。幸せがいつも彼らとあるように、今後も彼らがごく普通に一緒に暮らしていけるよう、心から祈ろう。

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